院生日記

大学院生が綴る日記。日々考えること、お出かけした記録など

やりたいこと

 

 

 ご無沙汰しています。修士論文のための授業実践で忙しいやら、体調がよくないやらで、なかなかブログを書くことができませんでした。今は、修士論文完成に向けて執筆する期間です。アンケートや授業のビデオ記録といった大量の文字起こしをいかに早く終わらせるかがポイントです。頑張ります。

 

 さて、修論の授業実践などを体験してやりたいと思うことができました。それは、子供とともに研究する場をつくりたいということです。世の中には様々な学び方があります。暗記学習、体験学習、読書、見よう見まね、鑑賞、などなど。その中でも私の好きな学び方は研究です。

 研究とはどのような営みでしょうか。まず、自分にとって、あるいは社会にとって、ある研究グループにとって解決されなければならない問いを立てます。そして同じような問いに立ち向かった過去の研究や実践を知ります。そのうえで過去の研究を一歩進める形で新たな提案をします。最後に自分の研究についての成果と課題をまとめます。もちろん他の型もあると思いますが、大雑把にいうと研究とはこんな感じだと思います。

 

 なぜ好きなのかというと、とても健康的な学び方だと思うからです。大量の言葉を丸暗記は私的に不健康です。例えば、お腹いっぱいなのに、さらに食え!っていわれて二郎系ラーメン食べさせられる感じです。あと、体験学習のような<やりっぱなし>も不健康ではないものの、物足りません。学校での体験学習の多くは教師のお膳立てによって成り立っています。例えば、できあがったチャーハンが用意されて、そこにネギだけ乗っけて、料理できてすごいね、と褒められるようなものです。読書も、何の前提もなしに一日一冊と決めて、苦しいのに読むというのは不健康です。例えば、何の前提もなしに毎日一個はじゃがいも食べなさいと言われてもきついです。不健康シリーズはこれくらいにしておきましょう。

(ちなみに、千葉中央駅近くの次郎系ラーメン「BooBoo太郎。」のラーメンは美味しいです。)

 

 研究する者は、自分なりの問いを立て、思考を深め、自分なりの答えを出すという営みをやり続けるのです。研究するという学び方にはいろんな良さがあると思います。つらつらとその良さを書いてみます。

 まず、問いに答えるために多くの本や論文を読みます。とにかく本や論文を読まないことには研究が進みません。私は中学校社会科における身近な地域についての論文を書いているのですが、戦後から現代に至るまで多くの本も論文も発行されており、大変です。

 次に、思考を深めていくということを永遠に続けられます。考えることに価値があるのだ、と研究をして初めて知りました。高校までの教育では覚えることに価値があり、考えることはその前準備でしかありませんでした。でも、研究は違います。個々人が考えたことに大きな意味があります。ただし、思考する作業は非常に孤独な作業であります。研究者の人たちは孤独を抱えているのでしょうか。

 思考できるという有効性に関連して、メタ的に何かを捉えることができるようになります。抽象と具体の往復をしながら論述する力も必要ですし、締切に向けてどういう計画で研究を進めていくを考える力も必要です。本を読むときも、一文一文読むのではなく、結局この著者はどういう立場で何を主張したいのか、自分はその立場に賛成なのかどうか、ということを同時に考えます。

 さらに関連して、批判的に思考することも鍛えられます。過去の研究成果に批判がなければ、自分が研究する意味はありません。過去の研究成果を確認しつつ、どこか一部を批判し、それを乗り越えるような提案が必要です。

 最後に、なにより指導教員や研究仲間との対話は本当に面白いです。議論を深めることで、新たなアイディアがでることもあります。私は最近、思考のぶつかり稽古という言葉を作って大変気に入っているのですが、このぶつかり稽古が面白いです。自分が考えていること、指導教員が考えていること、研究仲間が考えていること、それらが議論の中でぶつかるのです。自分の論文への批判に耐える論理を兼ね備えられるようにまた自分なりに強くなって、またぶつかり稽古です。自分は何がしたくて、どういうことに疑問を持っていて、何を変えたいのか。ずっと突きつけられます。

 

 一つの研究が終わってもまた新たな課題が出てきて、次の研究が生まれます。だから研究は一度初めたらとまることはありません。研究は我々人間に開かれた存在であり、研究してはいけない人間はいません。みんなと研究したいです。昨今、アクティブラーニングや探求学習、「主体的・対話的で深い学び」と様々な言葉が氾濫していますが、研究にはそれらが全て凝縮されています。批判する力をつけよう、言語能力を充実させよう、とかそういうのをちまちまとやるのではなく、研究という人間がこれまでずっと続けてきたことを、みんな少しでもやればいいのだと思います。

 

 ちなみに、とある保育実践において園児は立派に研究をしています。それもお膳立てされた研究ではありません。ある中学校でも卒業研究を課しています。生徒は立派に研究をしています。できないことはないはずです。子供が研究できる場をそのうち作りたいと思います。

 

 文字ばかりでつまらないので、最近撮った写真を載せて終わります。

 

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タイトルは異世界突入3秒前!

次回は、読書会合宿+神宮の話を書こうと思います。